ブログサイト“疲れてもいいよ.web”へ、ようこそ。(サイトコンセプト)

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から始まります。★
ポチッとよろしく!私の世代の人々が心も体もまるまる子供であった頃、
私たちを養育する立場にあった、
それ以前のずっと昔を子供として生きて来た世代の人々は、
口を揃えてこうも言ったものです。
「あなたたちの日常には戦中や終戦直後に見られた、
 食糧難がない。あなたたちは恵まれた世代なのだよ。」、と。
それは一つには正解でもありましたが、
片や、私には今尚、私たちの世代が、
全てにおいて恵まれているとは思えません。
こちらにも両親の不仲に悩んだ子もいましたし、
親が早逝してしまう子もいれば、
例え、ほぼ良い両親の下に育ったとしても、
それなりに両親との間に葛藤を抱えて来た子だっています。

そして今、その子供たちもついに30歳を過ぎましたが、決して、
昨今の不況と就職難とが彼らに楽なものであるとは言えません。
ここに来て熟年離婚を迎える両親と共に苦労する者もいれば、
ここへ来て、かつての仲間を“格差社会”が分け隔てることもあります。
今ではもう、子供の頃のように誰とでも横並びにとは行かない、
人生の厳しい側面が日々を展開させているのも現実なのです。
そして、思春期の頃に思い描いた恋愛や結婚のイメージにも破れ、
男女の現実と真剣に向き合わざるを得ない中で皆、
何らかの孤独や孤立感を抱えているところもあるはずです。
残念ながらこの現実を一度に覆せる特効薬はどこにも無く、精一杯、
自分の日々を生きて行くことを優先せざるを得ない毎日、私はしかし、
それでも、そこに何か一つの温もりを見出せないかと考えました。

そして、その思いを形にしようと試みていたところ、いつの間にやら、
このサイトの作成に着手していたのです。

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「疲れたぁ」と自然に息がつけるってどこか、
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ホッと出来る間合いを感じませんか??
これは息を吐き出しながら呟かれる極々単純な言葉ですが、
こんなところにも、人間の弛緩とは発生するのですよね。
もちろん、適度なストレスの供給は作業効率の向上を活性化しますし、
その意味では、締め上げる要素も全くの無駄とは言えません。
しかしながら、全く弛緩を欠いてしまったとしても、
人間にとってはマイナス要因となることでしょう。
ですから、どうぞ、このサイトではのんびりしていって下さいね。

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横並びで手を繋ごう。

ある時期が来たら自分の足で歩くことをも学ばなければならないから、
ある時期を境にして君の手をそっと振り払った者もあったかしれない。
でも、そこからもう一つの道しるべの続いていることも、
それを学びそびれている君には是非とも学んで欲しいんだ。
ある時期に振り払われたことで寂しさを知った君の手にはこれからも、
誰かと繋がっていく権利が与えられているということ、
それは容易には口にされなかったとしても、
自ずとそこにある権利であるのだからね。

誰かと繋がってはいけないと思い込んだままに成長し、
大人になったのだからと結婚をしなさい、
或いは子供を持ちなさいと言われても、
それではきっと深い混乱を君に呼び覚ますことだろう。
けれども、この混沌の果てから自ら意識的に掴み取った、
繋がることへの意欲こそは誰かに与えられたものでもない、
自分だけの大きな信頼にも生まれ変わるに違いない。
だから、君は君の手を見つめ、心を見つめ、
柔らかい音色の導く羽化を営めばよいのだ。

幼い頃はその姿かたちから手を差し出す人が、
それなりに君の元をすれ違ったことだろう。
それは実の親でもあったかもしれないし、
或いは赤の他人でもあったかもしれない。
それはその時の君自身の体そのものが、
その頃は小さくて頼りない手だったから、
呼びかけずとも得られたものだったし、
それとなく応えて貰えたものだったんだ。
それも、時間と共に徐々に失せていく。

その頃の自分よりは頼りがいのある顔立ち、
体つきとなっていくのが人間の成長なんだ。
従って、君の体そのものは人の助けを乞わなくなっていくのだが、
実際の君自身には人の助けだって必要なんだよね。
何故って人は生まれる時と死ぬ時は一人だとしても、
その一瞬以外の時間を独りで暮らすのは苦手なのだから。
だから、人は自分だけの家族を持とうと励みもするし、
それが叶わない者は飲み仲間を作ったりもする。
何か、イベントを企画して一人になるまいと努力する。
でも、きっと、昔と今とで違うのは一方的に待つだけじゃ、
もう、誰も手を繋ぎ返してくれないということで、
その時期に入った君は君から手を繋ぎに行くことを僅かでも、
自身に覚えていく必要があるってことなんだ。

君が、誰かと繋がろうとして失敗をすることもあるだろう。
でも、その手を握り返してくれる人もいるだろう??
君が寂しいと思えるのはまだ、君が、見捨てられていない証拠だよ。
だから、そう。手を繋ごう。手を繋ぎに行こう。
上から見下ろした握手ではなく、君の横並びで確かと手を繋ごう。

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伝わらないもの、届かないもの・・・

君があの日、彼に伝えたかったのは彼への肯定だったね。
ただ、それが駄目だったんだよね。
それで今、君はその意味を考えに考え抜き、
彼をその場所に置いていくことにしたんだ。

「助けられるものならば、助けたい!」しかし、同時に人は無力でもあるから、
その人自身で助かろうとしない人を無限に助けることもできない。君は、
ここに気づいたことであの救われないエネルギー増幅の助長を彼には止した。
それこそが唯一、彼を最も忘れていなかった君の最善の策で、君は君の良心や
一方的な愛着によって、彼の回復を無暗にせっつかないことを選んだのだったね。

そう。ある時、君は自覚したんだ!!
彼は目先のことで助かりたいんじゃなくて、
彼はむしろ今、酷く病んでいたいってことだと!!!
何故って、病んでいない自分になることが、
それこそ彼には不安でもあったのだもの・・。
その上、何が彼をそう思わせているのか、君はまた、
それについてもよく知っていたのだろう??
言うなれば、“君の存在は転機を与えるための道具ともなる”し、
それだけに同時に傷をも負わせ兼ねない、いや、負わせねばならない、
ここ一番のナイフでもあるわけだよね???

だからこそ、彼もまた、君には無下に突っ張っても見せたはず・・。
そして、彼は実際、このナイフにこそ触れまいと必死で自分を大きく見せた。
何よりも、彼には「彼にとっての君」がいつまでも、
彼の目下の存在であって欲しかったのだと思う。
今の彼が君を退かせたがるのは何よりも君自身が、
彼の恐れている「彼自身の失敗そのもの」だったから。
今の彼にはつまり、今の君のその姿を直視することが、
自分の失敗を見つめるための最大の機会となるしかない。
だから今、自分から逃げ続けてきた彼にとってその最初の一歩が、
とんでもない脅威でしかないことだってとっくにわかっているのだろう??

つまりはね、‘彼こそが、そこを君に知らされることを脅えている’んだ。

でも、わかっている。君は、彼を脅かしたいとはつゆとも思っちゃいない。せめて、
否定に染まった彼の中の真なる肯定を彼に知らせておきたかっただけだよね。

例え、何もかもから永遠に逃げ続けていたい彼における物事の肯定要素が、
今、ただの大きい恐怖でしかないってことがこの世の真理であったとしてもね。

その彼はむしろ、無知な大人の肯定によって迫害されて来た側の人間なのだろう。
それこそ、彼の身の丈以上に肯定を注がれ、或いはお菓子を貢がれて、
言わば、そこでの彼は身の丈以上の期待を注がれて来た裸の王様も同然だった。
だから今、君の扱う対等の自己肯定に向かってさえも、
彼は脅え、只管殻に引っ込むしかなくなってしまったんだ。
それを知っていればこそ、彼と彼の周囲との図式に真実を打ち明けたあの日、
君はそこに自分の余計な期待を詰め込むまいと充分に注意を払い、
それ以上の深入りを実質的には遠慮したのだったね。
誰よりもあの日、彼を真に肯定することを試みた君へ。
ただ、そこから先は相手次第なんだ。ここからはまず、君にはどうにもできない。
君でなくとも、動かせない。今はただ、そこをよくわかっていればいい。

そして、そこから先をどうにかするのは君ではなく、
彼自身の中枢でしかないことを昇華していこうよ。
君は今、君自身を疎かにしなければ充分なのだからね。

君は、君を生きなさい。

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酷いね。でも、一人じゃない。

それは酷いね。
時々、こう言いたくなってしまう私は結局のところ、
いつも、どこかでずばっと言ってしまうんだ。
だってさ、世の中にはたくさんあるでしょう、
それこそ「酷いね。」と言いたくなるあれこれがね。

それはもちろん、子供が虐待を受ける場面だとか、
そこまで限定的な話題でもなく、むしろ、例えば、
色々が廻る大人同士の世界においてもそうなんだ。
だから、迷わず、私は言ってしまうんだ。

そして、頷いてしまうんだ。
だって、それは本当に酷いことだったから。
私が、酷いことだと思ったからね。

それに誰かが、こう相の手を入れてやらないと別の誰かはきっと、
心の宿り場所を見失ってこの広い世界を独りで、
彷徨わないといけなくなるわけでもあるよ。

それはそれでそうしたことも、あって、悪いことだとは言い切れない。
でもね、だけどね、そうそうあってはいけない、
そういう大変なことでもあるわけなんだ。

だからね、「ああ、ここで手を離してはいけない!」って思って、
つい、こう頷いてしまう私を私はまだ失えずにいるんだよぅ。

それだけ、この世界は広いね。
そこはとてつもなくデカイから、人々が油断したある日、
ふいにぷっつりと巧妙にはぐれてしまう人もいるんだよね。
そこにいるけれどはぐれることをせめて今日からでも、
私たちで“精神の神隠し”とでも呼びましょうか?

さて、この心もとない精神に向かって意志を持たせるために人は学ぶし、
時代を体験するし、そして、行く行くはそこで誰かとつがいもするね。
そこはその通り、自分だけだと無我夢中の内にはぐれてしまうんだよね。
だから、最後の最後を自分自身でい続けるためにも、
私たちは誰かと寄り添うようにも出来ているんだ。

ホラ、天才外科医と言われたブラックジャック先生、
かの人のそばにもずっとピノ子ちゃんがいるよね??
何故だかブラックジャックの側も、彼女を手放さないわけなんだ。
だからね、ピノ子女史が奥さんを気取るといつもギャグになってしまうけど、
それでも、彼女は天才外科医とずっと一緒に過ごすべく存在なんだよね。

そうしてブラックジャックもまた、
ブラックジャックでいるわけなんだ。

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